福岡地方裁判所 昭和52年(行ウ)19号 判決 1977年12月23日
原告
木村正行
右訴訟代理人
三浦久
外二二名
被告
北九州市小倉中福祉事務所長
今村佐太郎
右訴訟代理人
福田玄祥
同
吉原英之
主文
一 被告が昭和五二年五月三一日なした原告の児童木村操及び木村智子についての貴船保育所入所措置を解除する旨の処分をいずれも取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一請求原因1項ないし3項の事実、即ちこれを要約するに、被告は児童福祉法三二条二項の規定による北九州市長の委任に基づき同法二四条の規定による乳、幼児の保育所への入所の措置をなす権限を有する者であり、原告の長男操を昭和五〇年四月以降昭和五二年三月まで北九州市立紫町市民館保育所に入所させていたこと、原告は同年二月被告に対し右操及び長女智子を右保育所に入所(操については継続入所、智子については新規入所)させるよう申込みをしたところ、被告は同年三月三〇日右両名を私立貴船保育所に入所させる旨の措置決定をなし、次いで同年五月三一日右入所措置を解除する旨の決定(本件処分)をしたことは、当事者間に争いがない。
二被告は、本件処分の理由として、右貴船保育所への入所措置は本件児童の母親ジツ子が居宅外労働を常態としていると認めてなしたものであるところ、その後の調査により、同女は昭和五二年二月一日以降全く就労しておらず、本件児童につき法二四条にいう保育に欠ける事由はないことが判明したため、右入所措置を解除したものである旨主張するので、以下判断する。
三<証拠>によると、原告は本件児童の保育所入所措置申込みに際し、本件児童が保育に欠ける状態にあることの認定資料として、母親のジツ子が園田印刷所こと園田直之助方で就労中である旨の雇用主の証明書を被告に提出したこと、ところが、原告方は生活保護世帯であるところ、従前右ジツ子が収入を得ていることについては申告がなされていなかつたため、昭和五二年五月下旬頃被告において調査したところ、ジツ子は同年二月以降全く就労していないことが明らかとなつたこと、また、同女は昭和五一年七月から昭和五二年一月まで右園田印刷所で働いてはいたが、その就労の実態は、右園田がジツ子の義理の兄であり原告と隣り同志であるところから、月に約一〇日、日に四、五時間ほど、幼い智子の面倒をみながら簡単な雑用や留守中の電話番等をして月に一万二〇〇〇円の報酬を受けるという程度のものであつたことが認められる。
右認定事実からすれば、被告が本件児童について保育に欠けるところがないとして本件処分をしたことも、一見その判断に全く根拠がないでもない。しかし、本件は、保育所入所措置申込みに対する拒否処分ではなく、いつたん入所措置をした児童につきその措置を解除する処分であるから、入所後において入所措置の要件に該当しないことが判明したからといつて、直ちにその解除処分を適法であるとすることは相当でないというべきである。何故なら、本件保育所入所措置処分は、個人に一定の利益を与える処分であるから、いつたんその処分がなされた以上は、当該処分が詐欺・強迫その他不正な手段に基づいてなされたというような特別の事情がある場合は別として、単に当該処分に瑕疵があつたとの理由で当然にこれを取り消しうるものではなく、処分の相手方から既得の権利、利益を剥奪してもやむをえないと認めるに足りる公益上の必要がある場合でなければその処分を取り消すことはできないと解するのが相当だからである(なお、原告は右保育所入所措置処分の取消しを求める訴えを提起していることは当裁判所に顕著であるが、その不服とするところは被告が本件児童の入所すべき保育所を原告の希望外の施設に定めた点にあることは当裁判所に顕著であるから、右の理が本件処分についてもあてはまることはいうまでもない。)。
そこで、右の観点に立つて本件処分が適法であるか否かを検討することとする。
<証拠>によると、原告は、昭和五〇年一月急性腹膜炎等の手術で一か月位入院して以来病弱のために十分に働けず、その頃から生活保護を受けるようになつたこと、原告の妻ジツ子は夫の看護をしなければならず、また原告方にはジツ子以外に操の世話をする者がいないところから、原告は操の保育所入所を申し込んだところ、被告はこれを容れ、同年四月一日以降操を紫町市民館保育所に入所させる措置をとつたこと、同年一二月ジツ子は智子を出産したこともあつて、操の右入所措置はその後六か月を経過するごとに原告の申込みにより更新継続され、昭和五二年三月に至つたこと、原告は退院後やや健康を回復し、昭和五〇年夏頃から日雇人夫などをしていたこと、ジツ子は前記のとおり園田印刷所の手伝いをして若干の収入を得ていたが、智子が成長するにつれ、その面倒をみながら働くことは困難になつたので、操とともに智子をも保育所に預けたうえでもつと身を入れて働きたいと考え、本件保育所入所措置の申込みをするに至つたこと、なお、原告は昭和五二年三月より長距離トラツクの運転手として働くようになり、生活保護も同年六月より辞退したこと、しかし、やはり健康状態が十分でないため、夜勤もあつて労働のきつい運転手の仕事を長く続けて行くには不安があること、そこで、妻ジツ子は、できるならば原告にトラツク運転手をやめさせ、身体の無理をしないですむ他の仕事をしてもらい、自分も共稼ぎすることを希望しており、その能力をも有しているが、そのためには本件児童を保育所に入所させるより方法がないこと、以上の各事実が認められ、右認定事実からすれば、このまま本件児童が保育を受けられないことになると、健全で平和な家庭を築こうとの原告ら夫婦の希望に反しいつか原告の家庭は再び困窮の状態に陥るかも知れず、本件処分によつて原告及びその家族の不利益は大きいものと認められる。
これに対し、本件解除処分をなすべき特段の公益上の必要があることについては、被告は何ら主張、立証をしようとしない。
四以上のとおりであるばかりでなく、そもそも被告が本件児童について保育に欠けるところがないと判断したことの当否自体が甚だ疑わしい。即ち、法二四条は保育所への入所措置の要件として「保護者の労働又は疾病等の事由により、その監護すべき乳児、幼児―中略―の保育に欠けるところがあると認めるとき」という概括的な定めをしているところ、成立に争いのない乙第一号証によれば、厚生省は右措置要件の基準を明らかにするため「児童福祉法による保育所への入所の措置基準について」と題する通達(昭和三六年二月二〇日都道府県知事・政令指定都市市長宛同省児童局長通知)を発しているが、その別紙(一)から(六)までにおいて具体的な事例による措置基準を示したうえ、(七)において「前各号に掲げるもののほか、それらの場合に照らして明らかにその児童の保育に欠けると市町村長が認めた事例につき、都道府縣知事が承認した場合」との一般的基準を示す条項を設けていることが認められる。そして、右通達全体の趣意を汲みつつ右(七)の意味するところを考えるならば、法一条ないし三条に定める児童福祉の理念達成のために必要かつ妥当である限り、法二四条の保育所入所措置はある程度弾力的な運用をなすことが容認されるのみならず、むしろそれが望まれる場合のあることを示すものにほかならないと解されるのである。
これを本件についてみれば、前記のとおり、原告は健康がすぐれないため十分な収入をあげることができず、妻ジツ子は共稼ぎをして家計を助けようにも満三才と一才の幼児をかかえ、他に子供の世話をすることのできる同居の親族はないという状況にあつたのであるから、たとえその当時ジツ子が現実に就労していなかつたにしても、本件児童の保育所入所を継続してジツ子に就労の機会を与えることが前記の措置基準に反し、法の趣旨にもとるものというべきかは大いに疑問の存するところであろう。
右の点は、本件が以下に述べるとおりの同和保育における特殊な事情を背景としていることを考えるとき、特に検討を要するところと考えられる。
即ち、<証拠>によると、北九州市においては昭和四九年四月以降市内の同和地区にある紫町市民館保育所を含め六か所の市立保育所を特に同和保育所と定め、同和地区の児童のみを対象とする保育を実施していること、同和保育所である紫町市民館保育所では、保護者である母親が就労しておらず、かつ他にその監護を困難とする特別の事由がないのにかかわらずその児童が入所している例が数多くみられること、同和保育所に入所措置を受けるためには申込書に解同小倉地協の確認印を付した書面を提出させることとしているが、その他の保育に欠ける事由があるか否かの認定は緩かであつて、事実上は右確認印さえあればほとんど無審査で入所させ、その後六月ごとの更新手続も形式的なものであり、解同の確認印のある入所申込みがあつたのにこれが拒否され又は同和保育所以外の一般の保育所に入所措置された例は従前皆無と言つてもよいこと、同和保育所は定員の面でも優遇されており、いわゆる空きを待つ籍待児の問題は生じていないことが認められる(証人江口祐一、同千々和一彦の証言中には右認定に反するかのように見える部分も存するが、仔細に検討するならば、右認定と矛盾するものでないことが了知できる。)。このように、同和保育所が一般の保育所とは違つて有利に取り扱われていることは、一見不公平なようにも思われる。しかし、<証拠>によれば、同和地区においては、その社会的、教育的環境に恵まれないため、児童の身心ともに健全な育成を図り同和行政の目的を達成するには乳、幼児期における適切な集団保育が有効であるとの認識に基づいて右のような措置がとられていること、そしてこの実情と保育所入所基準との関連については、いわば前記のような同和地区の環境そのものが児童の保育に欠ける事由に該るとみなして処理されていることが窺われる。このような運用のあり方はそれなりに首肯するに足る合理性がないわけではなく、同和対策事業特別措置法の趣旨からしても是認されえないものではないと思われる。
ただ、そうだとすると、原告は同和地区に居住し同和行政の対象者であるのにかかわらず、何故に原告の児童のみが保育所入所措置を解除されたのか(更に遡れば、原告が同和保育所たる紫町市民館保育所を希望して本件児童の入所措置を申し込んだのに、何故に一般の私立保育所たる貴船保育所に入所措置されたのか)ということがここで一層問題とされざるをえない。
右の点について、被告は、本件処分がなされたのは本件児童につき保育に欠ける事由がないからであり、同和問題とは何ら関係はない旨主張しているが前認定の北九州市における同和保育の実態に鑑み右主張は肯けない点が多く、却つて、原告から被告に対する本件児童の貴船保育所入所措置決定取消請求事件(福岡地方裁判所昭和五二年(行ウ)第一〇号事件)の当裁判所に係属の事実、<証拠>を総合すると、被告が本件処分をなしたのは、本件児童につき保育に欠ける事由がないというのではなく、本件児童が本来同和保育の対象者でありながら同和保育になじまないということがむしろその真意であると窺える。そこで、同和保育になじまないということの意味が問題となるところ、これにつき証人千々和一彦は種々述べるけれども、結局は、原告が本件児童の保育所入所措置申込みをなすに際し解同小倉地協の確認印ある書面を提出しなかつたということに帰着し、それ以外に本件児童につき同和保育を適当としない何らかの事由があることを窺わしめる資料は存しない。しかるところ、原告が解同小倉地協の確認印を得て来なかつた経緯については、<証拠>によれば、原告は、もと解同小倉地協紫町支部に所属し、従前操を紫町市民館保育所に入所させるにあたつては解同小倉地協の確認印を得て入所申込みをしていたのであるが、昭和五一年五月二二日いわゆる「狭山差別裁判同盟休校」の際、原告及びその妻ジツ子は解放同盟の方針に従わなかつたことを理由に一方的に解同小倉地協を除名されたため、原告は、昭和五二年二月本件児童の保育所入所を被告に申込むに際し解同小倉地協の確認印を得べく同地協に申入れをしようとしなかつたことが認められるのであるが、児童福祉の本旨と前認定にかかる北九州市における同和保育の実情に鑑みると、たとえ解同小倉地協の確認印がなかつたにせよ、本来同和保育の対象者であることに疑いのない本件児童について、被告がこれを同和保育所たる紫町市民館保育所に入所措置しなかつたことがそもそも当を得た措置でなかつたというべきであり、本件係争の真の原因は、右の点にあるというべきである。
およそ行政においては公平、平等が重要な指導理念であり、殊に福祉行政においては右の点が重視されるべきである。しかるに、右に見て来たように、本件においては、その責任を被告のみに帰せしむべきかどうかはともかくとして、本件児童は、差別をなくすことを目的とする行政の名のもとにいわれのない差別を受けるというまことに遺憾な結果となつているのである。
五以上のとおりであつて、本件処分は相当な理由なくなされた違法なものと言わざるをえず、取り消しを免れない。
よつて、原告の本訴請求を理由ありと認めて認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(南新吾 小川良昭 辻次郎)